インフラは深く掘り下げ広げる学びの宝庫だ!(令和6年5月4日(土)活動報告)

八塩ダムエリアでは黄桜祭りが開催され、黄桜も人も賑わっていました。歌謡ショー、そしてパークゴルフ。八塩山が微笑んでいるような気がしました。
要所要所に通行案内をしている支所の職員の方々や交通整理されている指導員の方々、危険箇所を見まわれている防犯協会の方々。たくさんの方々が観光イベントを作り上げ、お客様をもてなしていました。

センターハウスには行きませんでしたが、食堂も多忙だったようです。
わたくしはダム湖へ車で向かい、野鳥の家の駐車場からダム湖の写真をパチリ。写真
帰省中の娘家族に八塩ダムについて解説しました。
このダムは農業用のダムで、昭和26年に県の大規模県営事業として採択され昭和37年に完成。
石沢川を主水源とする、旧玉米(とうまい)、下郷、石沢、小友の恒久的な水源とするため作られました。
受益面積792ヘクタール、関係農家戸数960戸、貯水量96万トン。
干ばつで水田への用水が不足しそうなときにダムの水が稲たちの命を救う。結果我々人間も救われます。これまでも平成元年などそのようなことがありました。
12年の歳月を要した大事業でした。わたくしのうちのアルバムに父と知らないおじさんと5歳か6歳位の自分がダム記念碑の前で写った写真があります。
あるとき、どこかの技師の方が見えられ、八塩ダムを案内してほしいと商売をしていた父に来て依頼したそうです。

○小野一彦のインフラクイズ

当初、八塩ダムの取水口は水面に浮かんでました。何故でしょうか?

◎答え
水稲は水が冷た過ぎると育ちが悪いので、暖かい水は上にあがるため、暖かい適温の水が用水として水田に流れるように、取水口は浮かんでいました。
当時としては全国的にも珍しいダムだったようです。
こんなことを娘の夫に説明をしました。神奈川県に生まれ、育った彼は興味深かそうに聞いていました。
娘にもこんな近くにあるのに、我が町の「観光地」的な場所としてしか教えていなかった。
学校では習ったかもしれませんが。
竣工した昭和37年=1962年から62年が経過しました。

今、受益面積はどの位か? 
今ダムの水を使っている農家は何人か?
それは何故か?
大雨災害が激甚化、多発化している今、「流域治水」という方法が進められているが、水不足のときに溜めていた水を流す灌漑ダムとしてだけでなく、水が流れるのを貯めて防ぐ防災ダムとしての機能もあるのではないか。 
このような学びが、農作業をしている農家の方々を拝見しながら現地から始まる。
ダム工事のことを知る元県職員、町役場の方々、干ばつ時救われた農家の方々、今現在の農家の方々からインタビューをすればもっと学びが深まる。
インフラの学びや学びを深め広げる思考訓練を現地で身体感覚を研ぎ澄ましながら行うこと。
こうした学びは鳥海ダムや洋上風車だけではありません。八塩ダム、矢島の郷内発電所など由利本荘市にもたくさんあります。
自分が高校生のときは、そんなことも知らずに、何勉強していたのか。通信添削オリオン、駿台文庫の基本英文700選、試験に出る英文法などなど。そんなことばかりやっていた。情けない話です。

そのバチが当たったのだ。
65歳の誕生日を過ぎ、出会う人から学び、よって立つ大地で無知を実感する日々。
せめて次世代には現地現物での深い学びをしてよりよい人生を生き抜く基礎づくりに生かしてほしい。もちろんワクワクしながら。
プロジェクトXのストーリーは我々の身近にゴマンとある。
以上午前は八塩ダム散策。

午後からは全くのプライベート
東由利→横手市
横手公園にて🛝、🚂で遊ぶ子どもたちの歓声を楽しみながらスーパーで買ってきたお弁当を食べました。横手公園も学びの宝庫です。